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2017年6月19日

顔と地図

Facial maps


中国の民俗に関する古い資料を見ていると、びっちり区分けした人の顔の図が見当たる。「面相図」「面痣図」等々と呼ばれているもので、人相を占うための顔の地図だ。


最初に見つけたのがこのような図だった。「九州八卦図」といい、顔を一国に見立て、それを9つの地方に分割して、それぞれに方位と地名をつけている(なお九州というのは中国の古称だ)。これが地図でなくんば何であるか?


さらに調べてゆくとこのような図を見つけた。凹凸にあわせて顔を分割し、ひとつひとつ場所に名前を付している。こんどは一村の絵図といった趣、「福堂」や「天倉」、「山根」など、村の字名を見るかのようだ。


この図にはいくつかバリエーションがあり、より細かく区切った図も見つけた。前の図が大字ならこれは小字の図。耳など、前図では1大字だったところが4つの小字に分けられている。
右耳の穴は「大字木星鬼穴」だ。

よく見ると「大海」「辺地」「海角」「懸壁」など、土地の様相は前図より広大になっている。かと思えば「盗賊」もいたりして怖い。

2017年3月26日

牧神とフィルム

Pan on the medal

こんなメダルを手に入れた。

表面には「賞 MINORI FILM」、裏面には「株式会社六和」とある。
かつて「みのりフィルム」という写真用フィルムの銘柄があり、「六和」というのがそのメーカーだったようだ。おおむねメーカー主催の写真コンテストか、小売店表彰のメダルといったところだろう。

質感や彫りの浅さは昭和30〜40年代の量産品メダルという印象だが、目を惹くのは表面に描かれた図像だ。笛を吹く半人半獣の像、これはギリシア神話のパンの姿だ。パンは牧神とも呼ばれ、豊穣さを象徴し、笛を吹くことを好み、なおかつ絶倫ということ。


なぜフィルム会社のメダルにパンが描かれているのか?
その答えはおそらく、みのりフィルムのラインナップに「みのりパンS」「みのりパンSS」というのがあったからだ。

しかしそのパンは「パンクロマティック」のパンだ。これは「可視光線すべてに感光する」という意味で、世界中の白黒写真フィルムに何々パンと名前がついている。つまりパンアメリカンとか汎ヨーロッパとかいうときのパンであり牧神とは関係がないのだ。


と思いきや…wikipediaのパンの解説にこうも書いてあった(以下一部引用)。

「パーンがテューポーンに襲われた際に上半身が山羊、下半身が魚の姿になって逃げたエピソードは有名であるが、この姿は低きは海底から高きは山の頂上まで(山羊は高山動物であるため)世界のあらゆるところに到達できるとされ、「全て」を意味する接頭語 Pan(汎)の語源となったともいわれている。」

という民間語源説があるのだと。

以上のような経緯で牧神とフィルムがつながっている。



参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/ボルタフィルム
wikipedia日本語版「ボルタフィルム」2017年3月26日閲覧

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_photographic_films
wikipedia英語版「List of photographic films」2017年3月26日閲覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/パーン_(ギリシア神話)
wikipedia日本語版「パーン(ギリシア神話)」2017年3月26日閲覧

2017年2月6日

黒眼圏

Periorbital dark circles


中国のショッピングサイトをたまに見る。
最新式のヘルスケア商品やサプリの効能書きとキャッチコピーが、
格調高く四字×四句の形式で書かれているのが面白い。

あるアイマスクの効能書きにこう書いてあった。

視物模糊 眼精疲労 干渋流泪 黒眼圏

「黒眼圏」?
何だと思えば目のクマのことらしい。
なお英語でも「Periorbital dark circles眼窩周囲の暗い円
というのだと。

2016年11月14日

三つうさぎの謎


Three Hares

イングランドのデヴォン州というところにある教会堂には謎の文様が刻み込まれているという。それは…疾走する3羽のうさぎ。しかしその3羽は3枚の耳を共有しており、円の内周を永遠にぐるぐる廻りつづける…という図案。まずは下図をご覧頂きたい。

 これだ

これが中世の教会堂の天井などに飾られているのだ。イギリスの研究者ウェブサイト「THE THREE HARES PROJECT」を見るとデヴォンの他にもイギリス各地〜フランス〜ドイツにかけ点々と分布が見られるということだ。いくつかの都市の紋章にも採用されている(下図)。英語ではthree haresといい、仏語ではtrois lièvres、独語ではdreihasen、要するにどこでも「三つうさぎ」と称している。

どういうメッセージがあるのかはわからないが、まず名数3はキリスト教との関連を思わせる。また発想は三脚巴にも似ている(下図)。三脚巴は紀元前の地中海世界に端を発する図案で、今はマン島やシチリアの紋章として残っている。

しかし前述の研究者ウェブサイトによれば、three haresの淵源は敦煌石窟寺院に遡るというのだから驚きだ。調べると確かに「三兎飛天図」という壁画が確認できる。つまりこの文様は6~7世紀の中国で生まれ、シルクロードに乗り中世ヨーロッパへ流れ込み、果てはデヴォンで渦巻いているということだ。


 紋章にあらわれたthree haresと三脚巴


さて
このthree haresを私は先日思いがけず鹿児島で見つけたのだ。鹿児島市街から谷山へ行く道すがら、気まぐれに市電を降りた先に下図の紋章を掲げる商店があった。

 The three hares in Japan

先ほど見た図案は無限に駆けるうさぎだったが、日本のthree haresは静かに座っている。座ったまま ただただつながっている……途方に暮れているかもしれない。手もとの紋帳をひもとくと「三つうさぎ」の項に似たかたちのが載っているがもちろん耳はつながっていない。そもそも家紋には植物や器物の図案が多くなぜだか動物紋は数少ない。またいずれもこのように静かだ。

もし仮に…この図案のアイデアがヨーロッパからもたらされたものだとすると、敦煌から地球を一周して東アジアに帰ってきたことになる。こちらのお店は1926年創業の呉服店ということ、これが古くからの家紋だと新発見なのだが如何だろうか。


しかし九州には初めて見るような家紋がよくあるのだ。墓石や盆提灯に珍しい家紋が描かれているのをいくつか見た。歩くに如くはない。いつかデヴォンにも行ってみよう。


参考文献
・http://www.chrischapmanphotography.co.uk/hares/index.html

「THE THREE HARES PROJECT」2016年10月30日閲覧
・『図解いろは引標準紋帳』金園社、1961年


1番目のイラストレーションはデヴォン州サウスタウトンの聖アンドリュー教会にある木製装飾物の図案などを参考に描いた。木製装飾物の写真は先述のウェブサイト「THE THREE HARES PROJECT」や下記ウェブサイト等にて参照できる。
・http://www.thechurchhouse.org.uk/roofbossplan.html
「Church House South Tawton Dartmoor UK 15th Century granite and thatch village hall for Church Ales and other festivities」2016年11月14日閲覧
3番目4番目の写真は2016年8月23日筆者撮影。

2016年9月19日

ノドゥル江辺


Nodeul Gangbyeon” (1934)

『노들강변(ノドゥル江辺カンビョンというのは韓国の民謡だ。
民謡といっても1934年に作られた「新民謡」のひとつ。明るい旋律とかなしい詩情が好きだ。


韓国では今でも親しまれているのか、色々な歌手が歌う様子がネット上に確認できる。しかし興味深いことにはこの歌、北朝鮮でも歌い継がれているようで、音源もいくつか聞くことができる。比べてみると歌詞はほぼ同じだがサビの一節…1番では「에헤요 봄버들도エヘヨ ポㇺポドゥㇽド」のあと、韓国版では「못 믿을 이로다モンミドゥリロダ」となっているところ、北朝鮮の版では「못잊으리로다モンニヂュリロダ」となっているのを見つけた。

発音の感じは似ているが…前者は「春の柳も信じられない」、そして後者は「春の柳も忘れられない」と言っている。たった一語で感傷の向きが逆転している。なお1934年のオリジナル歌詞は「信じられない」の方だ。

 鷺梁津駅前

ノドゥルは「鷺の飛び石」という意味だそうだ。それを漢訳した鷺梁津ノリャンジンという地名が今でもある。私はそれを見に行ったことがある。ソウル市街から2駅、漢江の南にある鷺梁津の街はとくに変哲もないところだった。駅の裏側に水産市場があり、そそる食事コーナーなどもあったのだが、魚介の名前がわからずあきらめて帰った。

 水産市場

参考文献
韓国民俗大百科事典」(韓国 国立民俗博物館)2016年9月18日閲覧

2016年7月6日

映画をみる


Zootopia” (2016)

《ズートピア》をみた。

二足で歩くような動物キャラクターを指し表すのに英語圏ではanthroとfurryという2つの符丁が使われる。

anthroはおそらくanthropomorphic擬人的なの略、語源は希語anthropo-人間。一方furryは英語fur毛皮から来た語。それぞれ扱う範囲が異なるようで、私はanthroが人間寄り、furryが動物寄りの造形だと考えている……が検索すると逆の解釈も見られる(anthroを人間になった元・動物とするか人間に似ている動物とするか?)。あるいは単に作品の主題による呼び分けかもしれない。日本語だとケモノという符丁がどちらも包括している。

で映画の話、(私が考えるところの)anthroとfurryとを渡り歩くようなキャラクター造形がよい。動物の体格…二足歩行…毛皮…着衣…と。からっとした話とよく動く顔が魅力的。

2016年6月20日

韓国の歌謡曲


Korean popular songs


韓国の歌謡曲を聞いている。
最近のではなく1950年代前後、トロットと呼ばれる渋い歌曲に心惹かれる。南仁樹ナミンス氏の歌う一連の歌がすばらしい…『離別の釜山停車場』『くずれた愛の塔』『無情列車』など。

当時のレコードのジャケットがまた味わい深い。ある時期まで韓国語表記は漢字混用が多かった。それで古いジャケットには書き文字のハングルと漢字が踊っている。離別…追憶…哀愁…無情……と詩情豊か。離別の離の字があまり見ない略字体だ。

またハングル表記、とくに外来語表記のゆれも面白い。いまはもう使われない長音符で스타-, 뮤-직と書いたり、라오, 스と綴ったりするのが古めかしい感じなんだと思う。(今日では라디오, 버스と綴る。ラジオをラヂオと書くのと相似。)

漢字でもハングルでも機能していればどちらでもよいのだが、混用とはそれ自体魅力的な様相だと常々思うのだ。余談だが停車場と書いてチョンジャンと読むのは不思議。上図は当時のものを参考に描いた架空の歌手のレコードジャケット、習作。


なお60年代が終わるとフォークソングみたいなのが流行りはじめる。『おれはどうしよう』『若い太陽』など。70〜80年代の歌曲などは7080チㇽゴンパㇽゴンと呼ばれる。これはこれで素敵。

2016年6月16日

信濃の国


Mappa Mundi

中世ヨーロッパの世界地図にTO図というのがある。
当時ヨーロッパの人が把握していた世界で完結した地図であり、○をT字形に3分割しそれぞれアジア・ヨーロッパ・アフリカとしたもの。そのまわりはただ海。

面白いので応用を試みる。上は長野県の地図。
県歌「信濃の国」にある…・10個の州と接している・平地が4つある・大河が2本ずつ南北に流れている…という均衡のとれた地理情報はTO図映えする。

2016年6月1日

タイトルについて


Esperanto

本ブログのタイトルはデセグノ・ウヌエというのだが
これは人工言語エスペラントの語彙から採っている。


理由は2つある。
ひとつは2008年頃、オークションで見かけた古いバッジに「EDUKADO UNUE」とエス文が書いてあったのが印象深かったことによる。これは同じものを最近入手することができた(上図)。当時抱き合わせで出品されていたラインナップからすると、憶測だが大正末から昭和一桁の作かと思う。※未確定だが、1922年の「学制頒布50年」イベントにかかわるものかもしれない。2018.04.26追記

edukadoは名詞で「教育」、unueは副詞で「第一に」という意味。edukado unueが文法として如何かは怪しい気もするが、ウラに漢字で「教育第一」と銘があるのでこれを逐語訳したものだろう。なお銘の下に「P.E.L.」と発行者のイニシャルが添えてあるが詳細はわからない。

またもうひとつの理由は、わが出身校多摩美術大学が草創期に出していた機関誌が「デセグノ」という題だったことによる。desegnoはエスペラントで「デザイン」の意味。しかしdesegnoにはもうひとつ、語源よろしく「描写」の意味もあるようだ。エスペラント版ウィキペディアを見ると現在「デザイン」にはdezajnoという新語(英語からの借用語)があてられていたりするので、私はどちらかといえば「描写」の意味で認識している。


エスペラントは、どうやら大正から昭和10年代にかけて隆盛があったようだ。国立国会図書館デジタルライブラリーにも教本類が数多く収録されており、一番早いのは1906年のものだが、1922年頃から数が多くなっている。ラジオ講座もあったという。

そういうわけで商品名や題名にエスペラントの語句が飾られることが多かったのだろう。1935年に売り出された「ヤクルト」はjahurtoヨーグルトのもじりだというし、今和次郎氏が1930年に出した『考現学』も「MODERNOLOGIO」とエス語風の一名がついている。上に掲げたのは岡山に今もある禁酒会館のサイダーのラベルで「ABSTINENCO」はエスペラントかと思われる。英語だとabstinence、「禁酒」「節制」という意味。


そういうわけで、当時学部生だった私は、多摩美らしさと自分の趣味(古いバッジ収集)の両方を表現しようと思い、edukado unueとデセグノを足して、ブログタイトルはdesegno unueとした。
意味は「描写/第一に」というほどである。

2018.04.26 一部改稿

2016年4月26日

多摩の町村紋章・調査報告


Discovering lost emblems of towns and villages in Tama district, Tokyo

消えた町村の紋章を調査している。
成果があったので報告したい。

今回の報告分は
南多摩郡浅川町  恩方村  由井村(現 八王子市)
七生村(現 日野市) 町田町(現 町田市)
西多摩郡青梅町(現 青梅市) 大久野村(現 同郡日の出町)
北多摩郡村山村(現 武蔵村山市)。


八王子市に合併した3町村の紋章は『八王子市公立小・中学校の校歌・校章』(八王子市教委、2001  以下『校歌・校章』と略)に記載があった。と言っても町村紋章自体を収録しているのではなく、小中学校の校章の図案に組み込まれていたものがその解説文から判明したものである。

南多摩郡恩方村の紋章は恩方第一・第二小学校の校章に姿を残しており、『校歌・校章』に制定の経緯が記録されている。1922年に村章公募がかけられ、当時21歳であった同地の松井翠二郎氏の応募作品が当選したもの。さらに昭和初期より小学校の帽章に兼用され始めたとのこと。

また恩方村の紋章は『市町村別国土総攬』(日本国土協会、1953)にも掲載されているのが確認できた。上図下のがそれ。
『校歌・校章』には「現在はミミズクやカエルに見える形になっているが、制定当初は外枠が円形に近かった」という旨の記述があるのと合致する。恩の字を2つの方でハート形に囲む図案だが、描き継がれる中で徐々に親しみやすい動物の顔に引き寄せられたものだろう。(第一小の校章で「目と目の間」に一画描き加えられているのに注意。)


南多摩郡由井村の紋章は由井第一・第二・第三小学校の校章に姿をとどめている。『校歌・校章』には、第一小の校章は1917年の制定で「村名を図案化した村章に一の字を丸く付け加えた」ものと記録されており、これ以前から由井村に村章が存在していたことがわかる。また第二・第三小の校章についても、同じように二の字、三の字を付け加えて形作られたものであり、前者は1917年、後者は1947年に制定されたものだという。

以上の記述から由井村の紋章を上図下のように復元した。このように、ある地域の複数の校章に同じ部品が共有されている場合は、その部品がかつての市町村章だということがよくある。

また興味深いことには、第一小ではこれを「亀八かっぱち由井」と称していたとある。もしこれが村章に与えられたニックネームであったなら、市町村紋章が公認の呼び名を持つ珍しい例のひとつなのだが。大阪のみおつくし、名古屋のまるはち、横浜のハマビシしかり。


南多摩郡浅川町の紋章は浅川小学校の校章と同一の図案だった。校章=町章制定の経緯が『校歌・校章』に詳しく記録されており、1927年に町制施行、翌1928年に懸賞募集を行い選定したものとのこと。募集に際しては八王子にあった「府立織染学校」校長の河合億雄氏を委員長とし、応募総数427点から八王子市寺町の須田松兵衛氏の作品が選ばれたものだという。

八王子は養蚕と織物の町で、府立織染学校はテキスタイルデザインを教えていたはずだ。そう思えばこの紋章も、前の2村章と比べるとより整った形をしたものが選ばれている。アが3つでアサ川。
(紡錘形は織機のシャトルにも見える。) 戦後生まれの浅川中、東浅川小の校章にも引き継がれている。 なお浅川小学校にはもともと別の校章(麻の葉紋に流水)があったものを町章ができた時に取り替えたとのこと。


これで八王子市域の旧市町村のうち4つに紋章があったことがわかった。しかし…八王子市の紋章は1917年の制定で現在も同じものが使われているが、隣り合う由井村の紋章も1917年には存在していたというのが気になる。

八王子市章は1917年9月1日の市制施行にともない同年12月22日に制定されたもので、今も使われている。対して由井村は第一・第二小の校章が1917年の制定であることから、村章自体も1917年、あるいはそれ以前からあるとわかる。八王子の市章制定が由井村に影響を与えたのか、もしかして由井村の方が先だったら面白い。


前述の『市町村別国土総攬』に、他にもいくつか初見の紋章が載っていたので紹介したい。
西多摩郡青梅町のは梅花の枠に青の字、北多摩郡村山村はララララララ山でムラ山、南多摩郡七生村は村名図案化、西多摩郡大久野村は大の字つなぎの桜に旭日、旧制府立高校の校章に似ている。

また南多摩郡町田町は『東京都町村合併誌』(東京都、1954)に所載のもの、1939年の制定で町と田の字を梅花に組み合わせている(梅花は町田天満宮に由来)。こちらは町田小学校の帽章が元になった図案だといい、恩方村や由井村が村章から校章へ移行しているのと逆だ。いずれにせよ市町村章と公立学校の校章とは密接な関係があることが多い。

『市町村別国土総攬』は興味深い資料なのでいずれ詳述したい。
『市町村別日本国勢総攬』(帝国公民教育協会、1934)は復刻版も出ているので知っている向きもあるか知れないが、その増補改訂版と思われる本が
『市町村別国土総攬』だ。上巻と中巻が確認できるが下巻が見あたらない。


なお青梅町の紋章については実地踏査でも確認している。町家の軒下に貼られていた商工会の門標に、よく似た紋章が描かれていた。輪郭が梅花なのはわかるが、花弁に返しがあったり、五芒星(萼か?)が挿入されていたりするのはどういう意味だろうか。謎は尽きない。

2016年3月1日

電車の色


Kawasaki tram

 かつて川崎に路面電車が走っていたのをご存知だろうか。
電車が一両だけ保存されているのを見に行ってきた。

 川崎の市電は緑のラインだった。
東京都電は赤、横浜市電は青、
じゃあうちは緑しかないじゃないか 
という感じがして面白い。

2016年2月21日

碁盤の目の街の話


Planned cities: Kyoto and Sapporo

京都と札幌

A 今の京都

京都と札幌どちらも碁盤の目の街だ。京都のほうが1080年ほど古い。ゆえにか京都の街中にはおびただしい数の細かな地名があり、それを長々と綴る独特の住所表記をする。しかし模式図を描いてみたら案外単純なつくりをしていた(図A)。格子の1辺の両側がひとつの町というわけだ。なので町の領域は菱形に近くなる。

が、図の左側あたりは菱形がくずれており、内側にもうひとつ町ができている。格子の真ん中にもう1本道を追加したからで、これは豊臣秀吉が通した道だと言われている(天正の地割)。

B 昔の京都

図Bは同じ箇所の昔の状況を描いたもので、黄色い部分が平安京。当時は街区をこのようにナンバリングしていたらしく、発掘調査があれば「左京四条四坊二町跡」などと遺跡名がつく。

また赤と青は戦国時代の市街地の範囲を重ねている。図Aの菱形の部分がおおよそ当時の市街地の範囲なのだ。応仁の乱のあとは街がコンパクトに固まっていた。それで天正の地割を通した部分と通さなかった部分とができているわけ。

『京都仕舞蔵文化財研究所発掘調査報告 2008-12 平安京左京四条四坊二町跡』(財団法人京都市埋蔵文化財研究所、2009)、およびホームページ「平安京探偵団」を参照。


あの長い京都式の住所表記も、実は非常にわかりやすい。試みに図A右上、◉で示したところの住所を記すと「京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町」となる。室町通蛸薬師というのは「室町通・蛸薬師通の交叉点」を示している。「下る」と続くのは、その交叉点から南に進めということ。

碁盤の目の座標を基準にした表記であり、札幌で何条何丁目というのと根本は同じだ。しかし京都が一枚うわてなことには、座標「室町通蛸薬師」は「蛸薬師通室町」でもよいのだ。その住所が面する通りを頭に持ってくる。先ほどの住所を
書き下せば『京都市中京区、室町通と蛸薬師通の交叉点から南に進んだところにある山伏山町、そのうち室町通に面してる建物』というまでの情報が入っている。 

なお京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町というのは京都芸術センターの住所で、昭和6年に建ったもと明倫小学校の校舎を活用している。上図のかっこいい建物がそれだ。


京都式住所表記についてはブログ「京都仁丹樂會」や
ウィキペディアの項目「京都市内の通り」に解説されているのを参照。

C 今の札幌

うってかわって札幌の中心部の模式図。京都に同じく碁盤の目ではあるが、町や通りの呼ばわり方は機械的な条丁目方式だ。北海道の平野部の都市はあらかたこの方式を採用している。大通と創成川の交点を中心としているが、マピオンで確認したところ現在は北51条、南39条、東30丁目、西30丁目まで広がっている。

D 昔の札幌

そしてこれは創建間もないころ、1873〜1877年あたりの同地点を示した。大通より北が役所街、南が商業地とわけられ、大通公園は火事があったとき延焼を防ぐための空きスペースだった。

特記すべきはそれぞれの通りに名前がついていたことだ。これは北海道内の国名と郡名を冠したもので、1873年に制定され、1881年に廃止された。『開拓使事業報告付録布令類聚上編』(1885年)国立国会図書館蔵に当時の布達が掲載されているが、おもしろいことに地名の呼び方の例が付記されている。次に引用する。

(前略)但幾丁目ノ唱ヲ用ヒス何通何東ヘ入西ヘ入抔相唱フヘク譬ハ創成町止宿所即創成町日高南ヘ入東側渡島通止宿所ハ即渡島通山越西ヘ入北側ナリ餘ハ準之」太字筆者

創成町止宿所はいまのバスセンターの一丁南、渡島通止宿所は三越があるところだ。最初はそれぞれ本陣・脇本陣と称していたので、公用の宿泊施設だったろうか。とくにお傭い外国人の方々が滞在していたということ。


「渡島通山越西ヘ入北側」となれば、これは明らかに京都方式の呼び方だ。たしかに『明治七年札幌市街図』(1874年)北海道大学附属図書館蔵には、街路にところどころこの呼び方が記入されている。見ると、布達の例では創成町止宿所の住所を「創成町日高南ヘ入」としているところ、大村図では「創成通沙流北入」となっている。実用の上で多少の法則性が加えられていたかもしれない。

京都方式といえばあのあこがれの仁丹の琺瑯引き町名看板だ。札幌の通りの名前は惜しいかな8年で消えてしまったが、京都みたいな密度の高い地名が街頭に踊る未来もあったかもしれない(上図)。あるいはかつて平安京が事務的な町名だったように、札幌もあと何百年か経てばどうなっているかわからない。
 
明治七年札幌市街図』(大村耕太郎原図:1874年成立、1917年模写)北海道大学附属図書館蔵、および『石狩州札幌郡札幌市街図』(1873年)札幌市中央図書館蔵 等を参照。


そこでふと思ったが、要は
・碁盤の目で
・通りに一本一本名前がついてる
という街なら京都方式でいけるというわけだ。
そういうところは世界中にある。試みに2例作ってみた。
どこでしょう。

2016年2月11日

消えた村の紋章をさがしている


In search of lost emblems (of former villages in Amagasaki)

 兵庫県尼崎市が市制100年の節目に、

かつて併呑した村の紋章をさがしている
ということで報道があった。

(1月27日付毎日新聞・2月5日付朝日新聞


現在の尼崎市域には6つの自治体があった。うち尼崎町が1916年、立花村の一部をあわせ尼崎市となり、1936年に小田村と合併、1942年に立花村全村、武庫村、大庄村、1947年に園田村を編入し今に至る。

今回さがしているのは上記6つのうち園田村の紋章だ。 
消えた村、それも消えて70年にもなる村の紋章をさがすとは素晴らしい取り組みだ。全国でどんどんやってほしい。そういえば国会図書館のレファレンスデータベースにも同じ質問事例が掲載されていた。

図は報道資料と「図説 尼崎の歴史」を参考に描いた。



立花村の紋章は9枚の花弁が描かれる。大字の数にあやかったものか。但し大字が9つになったのは尼崎市の市制施行以後であるから、制定年代は1916年以降となる。

公立学校のホームページを見る限り、武庫村、小田村、大庄村の紋章はいくつかの学校の校章に一部引き継がれている。村が消滅したあとで出来た校章にも引き継がれているのが興味深い。



京阪神の都市圏には古い自治体紋章が多い。もともと紋章熱が高い地域らしく、日本最初の自治体紋章鑑『都市の紋章 一名 自治体の徽章』(1915年)国立国会図書館蔵 にも京阪神間の紋章が多数収録されている。

とくに内海沿岸というか山陽線沿線というか、大阪~神戸~姫路あたりにかけては優れた図案の紋章が多く、インターネット上で確認できるものをいくつか上図にまとめた。年代には隔たりがあるが概ね明治20年代から昭和戦前期までの作。漢字またはカタカナ頭文字の図案化が多く、骨太な造形が秀逸なのが多い。自治体にまつわる名数を採用したのも多く、神戸は2つの港、芦屋は4つの旧村、鳴尾は4つの大字と8つの小字を表している。また須磨は珍しい具象紋、何となくアールヌーヴォーを思わす枝振りの描写だ。

大阪、尼崎、芦屋、神戸、明石、姫路は各市ホームページ、西宮、須磨、網干は前述の『都市の紋章』、御影は『御影町誌』(1937年)
国立国会図書館蔵、飾磨は『兵庫県飾磨郡飾磨町志』(1920年)と昭和16年合同年鑑』(1940年)国立国会図書館蔵、魚崎はウィキペディア「魚崎町」および魚崎小学校ホームページ、鳴尾はブログ「ちょっと歴史っぽい西宮」および鳴尾高校ホームページ、別府、加古川はブログ「ひろかずのブログ」、高砂はホームページ「お散歩 Photo Album」をそれぞれ参照して描いた。加古川と高砂は町制時代の紋章であり現在のものとは異なる。


尼崎に話をもどす。冒頭の図版に描いた尼崎の立鼓形の紋章は市制施行を期に制定されたもので、尼崎藩の槍印が元になっているということだ。『安政武鑑』(1856年早稲田大学図書館古典籍総合データベース を見るとたしかに立鼓形の槍印が載っている。しかし図案の根底にはもうひとつ、大阪市の紋章の影響もあるような気がする。大阪市の紋章は澪標といい、近世の港の水路標識がそのまま紋章になったもので、明快さからか諸々の紋章に影響を及ぼしている。

なお尼崎の紋章には、現在は両脇に●が1個ずつ付け加えられている。これは小田村と合併した際に付け加えたもので、小田村の「小」の字というわけ。紋章の合併新設としては珍しいやり方だ。

今みるような自治体紋章の概念は明治20年代に端を発するもので、それ以前にはほぼ存在しなかった。ゆえに紋章へ都市のイメージを加味するためには、旧藩主の紋所であったり古歌の歌枕であったり、近世以前の象徴的な事物を借用するものが多い。尼崎大阪ともにそういった紋章の好例である。



紋章の影響力ということを言えば、京都・大阪・神戸の三都市のが抜群に強い。代表例を上に掲げる。右下は大阪府高槻市、左下は兵庫県飾磨市の紋章で、それぞれ京都と大阪、大阪と神戸の紋章を強く意識して作ったと明記されている。上の丸いのは三都市の紋章をぜんぶ組み合わせたもので、阪急電鉄の昔の社紋。自治体紋章ではないが参考として掲載しておく。こういう芸当ができる紋章がいい紋章だ。

2016年1月28日

通の話・青年口語体


Tales of Maniacs (1907),
New Colloquial Correspondence for Youth (1926)

 明治40年に出た『通の話』という本を手に入れた。
マニア24名の随筆を集めた本で、「釣魚通」幸田露伴、「絵葉書通」巌谷小波など、いずれもそうそうたる文人たちがマニア打ち明け話をするものだ。例を挙げると清水晴風「玩具通」の一節(p97)、

《…私は何処へ行つても旅館で一番に聞くのは其土地の玩具の有無で、高崎でも旅館へ着くと直ぐ女中を呼んで、何か面白い玩具は無いかと聞きますと、「ヘエありますから呼びましよう」とて、暫くすると一人の芸妓が顕
あらはれた、私は呆気にとられて見て居ると、芸は遠慮なくズンズン座敷へ三味線を運び込む、こいつ[は]又失敗しくじつたなと、色々訳を話して辛やうやく芸妓に帰つて貰うたが、斯な失敗は幾度やつたか知れませんイヤ何を致すにも大抵骨の折れることです》

というもの。総じてこんなようなエピソードだとか、ちょっとしたマニア知識が披露されてゆく。卑下と自負と相半ばする感じにやや共感を覚える。こういう本を作りたいものだ。敬愛する明るい隙間趣味をたずねて本にしてみたい。白看探しとか。几号水準点とか。

 白看と几号水準点

が内容の魅力もさりながら、味はその文体からも来る。特段珍しいわけではないが、古めかしい口語体で綴られているのがよい。

古い口語体ということで言うと、国会図書館のデジタルライブラリーに当時の書翰文例集が多数あがっているのが面白くて最近よく読んでいる。時代は下るが大正15年の『新らしき青年口語体書翰文』にならい、私はこれを勝手に青年口語体と呼んでいる。

同書から例を引く(p105-106)。

春雨の日友を招く
《小糠のやうな、油のやうな雨が毎日続くぢやァないか。何となく人懐い、唆そゝられるやうな情こゝろになつて来る。そして、君を憶ふこと愈いよいよ切だ。幸ひ宇治から玉露が着いたから、君と共に苦茗くみやうを啜り、甘味を味つて心静かに他郷に在るAの上を偲ばうと思ふ、定めし無聊だらう。この使と共に出て来ないか。叩頭。》

返事
《手紙を有難う。徒然の折柄兄けいは何どうして居るだらうと思ひつゝあつた処だ。このしめやかな雨の日に、玉露を啜ってAの上を偲ぶのはまことに懐しく思ふ。直ぐにといふのだが、今一寸行けぬ。一二時間待つてくれたまへ。後から必ずお邪魔をしやう。不取敢とりあへずこれだけのことを書いて使の方に渡した。一二時間経つと屹度きつと行く。失敬。》


といった具合だ。総体としては現代口語文と変わりなく読解できるが、個々の修飾が時代がかっている。ぢやァないか。候文から申し送られた表現やむつかしい漢語が踊り、名言名句をそれとなく挟む衒学さも特徴だ。 

ちょっと会おうというくらいの内容なのに、君を憶うこといよいよ切だの、宇治から玉露がとどいた、使いを出す、という調子で労力を使ってゆくのはロマンチックでよい。

2016年1月12日

観光スタンプ


Pictorial rubber stamps, or Modern tourism

古い絵入り観光スタンプへの熱が高じて
 ついに自分のを作ってしまった(上図)。


かねてより思慕を寄せていた古いスタンプだが先日、古書市会場より発見の報を頂き確保した昭和11年の『趣味のスタンプ集』という本がことのほか面白かったのだ。


郵便局の風景印や駅のスタンプはファンも多いので印影をまとめたものも数多く出ているが、この本は寺社仏閣から旅館や商店、イベントの記念スタンプ、果てはスタンプラリーのスタンプと思しきものまで片っ端から収録しているのが凄みだ。


さて内容をご覧頂きたい。
図案の優れたものを一部抜粋した。

定山渓鉄道豊平駅のスタンプで描かれる名所名物は5つ。
①平岸のリンゴ  ②スキー  ③中島公園の札幌放送局  ④豊平橋  ⑤月寒の緬羊放牧場、仕切りや小枠を駆使して詰め込んでいる。名所尽くし式図案の好例。
 
総武線四街道駅は陸軍演習場が名所、図案は兵器尽くし。
東海道線草津駅では、弥次喜多と石の道標という古い観光情緒に猛然とSLが走り込んでくる図案。近世と近代の対比というのも頻出する構図だ。
 
大谷旅館は呉ゆえに軍艦を描く。
自然荘鎌倉園は由比ケ浜の海水浴場を描く。浜辺では水着美女、またはそれを隠すパラソルが描かれるのが多い。なお外枠の月と星は鎌倉町の紋章にあやかる。 
旭屋は名古屋の路面電車の電停の売店のスタンプ、ビル街を疾走する電車を描く。電車はこのアングルのが多い。

温泉会館は東京京橋にあった観光案内所と思しき施設、温泉マーク形の湯船につかる美女を大きく描く。
白石館は伊豆長岡の温泉旅館。写実的な温泉情景にやはり美女を描く。左は日本髪、右は洋髪だろうか。
玉子屋石鹸店もお色気スタンプの例。風呂というと日本髪の女性を描くのは、海水浴場の水着美女との新旧対比というか、なにか当時のレジャー観が表れている気がする。



この本の出版元は「シヤチハタタイムス社」、すなわちシヤチハタの広報活動として編まれたもので随所には同社の万年スタンプ台のPRが光る。シヤチハタこと舟橋商会は名古屋の会社なので、収録されているのも名古屋の商店のスタンプが多い。

古い観光図案の特徴としてはもうひとつ、地方性を象徴する図像を記号的に使うということがあるのだが、上図の例を見ると名古屋の場合はそれがシャチホコだということがわかる。抽象化を伴いつつ繰り返し現れるシャチホコは名古屋のもうひとつの紋章といえよう。

(西洋の紋章にみられるように、所属する地域や団体を象徴するために特定のチャージを図案に付加するということは日本にもあると常々思っている。
北海道の五芒星とか、秋田県のフキの葉っぱとか、滋賀県の六角形とかがそうだ。)



最後に面白いのは上の4点、スタンプ制作に関わる業者のスタンプが収録されていた。

スタンプは写真製版で得た凹版でゴムを鋳造してつくるようだが、その手順から図案作成のヒントまで巻末に掲載されている。マニア向けというよりも、スタンプの普及が主眼という感じ。制作サイドから見たスタンプ集という点でも貴重だ。


そういうわけで私のスタンプも名所尽くし式の観光図案スタイルに基づいて作ったのだ。ゴム印専門の会社に注文し印面はこんな感じ。
営業の三本柱(たてもの・けもの・時代錯誤)を前面に出し、なかんずく専門とするところの土蔵、また近代建築、温泉地、炭鉱、港町、鉄道、動物キャラクターを配したものである。