2016年4月26日

多摩の町村紋章・調査報告


Discovering lost emblems of towns and villages in Tama district, Tokyo

消えた町村の紋章を調査している。
成果があったので報告したい。

今回の報告分は
南多摩郡浅川町  恩方村  由井村(現 八王子市)
七生村(現 日野市) 町田町(現 町田市)
西多摩郡青梅町(現 青梅市) 大久野村(現 同郡日の出町)
北多摩郡村山村(現 武蔵村山市)。


八王子市に合併した3町村の紋章は『八王子市公立小・中学校の校歌・校章』(八王子市教委、2001  以下『校歌・校章』と略)に記載があった。と言っても町村紋章自体を収録しているのではなく、小中学校の校章の図案に組み込まれていたものがその解説文から判明したものである。

南多摩郡恩方村の紋章は恩方第一・第二小学校の校章に姿を残しており、『校歌・校章』に制定の経緯が記録されている。1922年に村章公募がかけられ、当時21歳であった同地の松井翠二郎氏の応募作品が当選したもの。さらに昭和初期より小学校の帽章に兼用され始めたとのこと。

また恩方村の紋章は『市町村別国土総攬』(日本国土協会、1953)にも掲載されているのが確認できた。上図下のがそれ。
『校歌・校章』には「現在はミミズクやカエルに見える形になっているが、制定当初は外枠が円形に近かった」という旨の記述があるのと合致する。恩の字を2つの方でハート形に囲む図案だが、描き継がれる中で徐々に親しみやすい動物の顔に引き寄せられたものだろう。(第一小の校章で「目と目の間」に一画描き加えられているのに注意。)


南多摩郡由井村の紋章は由井第一・第二・第三小学校の校章に姿をとどめている。『校歌・校章』には、第一小の校章は1917年の制定で「村名を図案化した村章に一の字を丸く付け加えた」ものと記録されており、これ以前から由井村に村章が存在していたことがわかる。また第二・第三小の校章についても、同じように二の字、三の字を付け加えて形作られたものであり、前者は1917年、後者は1947年に制定されたものだという。

以上の記述から由井村の紋章を上図下のように復元した。このように、ある地域の複数の校章に同じ部品が共有されている場合は、その部品がかつての市町村章だということがよくある。

また興味深いことには、第一小ではこれを「亀八かっぱち由井」と称していたとある。もしこれが村章に与えられたニックネームであったなら、市町村紋章が公認の呼び名を持つ珍しい例のひとつなのだが。大阪のみおつくし、名古屋のまるはち、横浜のハマビシしかり。


南多摩郡浅川町の紋章は浅川小学校の校章と同一の図案だった。校章=町章制定の経緯が『校歌・校章』に詳しく記録されており、1927年に町制施行、翌1928年に懸賞募集を行い選定したものとのこと。募集に際しては八王子にあった「府立織染学校」校長の河合億雄氏を委員長とし、応募総数427点から八王子市寺町の須田松兵衛氏の作品が選ばれたものだという。

八王子は養蚕と織物の町で、府立織染学校はテキスタイルデザインを教えていたはずだ。そう思えばこの紋章も、前の2村章と比べるとより整った形をしたものが選ばれている。アが3つでアサ川。
(紡錘形は織機のシャトルにも見える。) 戦後生まれの浅川中、東浅川小の校章にも引き継がれている。 なお浅川小学校にはもともと別の校章(麻の葉紋に流水)があったものを町章ができた時に取り替えたとのこと。


これで八王子市域の旧市町村のうち4つに紋章があったことがわかった。しかし…八王子市の紋章は1917年の制定で現在も同じものが使われているが、隣り合う由井村の紋章も1917年には存在していたというのが気になる。

八王子市章は1917年9月1日の市制施行にともない同年12月22日に制定されたもので、今も使われている。対して由井村は第一・第二小の校章が1917年の制定であることから、村章自体も1917年、あるいはそれ以前からあるとわかる。八王子の市章制定が由井村に影響を与えたのか、もしかして由井村の方が先だったら面白い。


前述の『市町村別国土総攬』に、他にもいくつか初見の紋章が載っていたので紹介したい。
西多摩郡青梅町のは梅花の枠に青の字、北多摩郡村山村はララララララ山でムラ山、南多摩郡七生村は村名図案化、西多摩郡大久野村は大の字つなぎの桜に旭日、旧制府立高校の校章に似ている。

また南多摩郡町田町は『東京都町村合併誌』(東京都、1954)に所載のもの、1939年の制定で町と田の字を梅花に組み合わせている(梅花は町田天満宮に由来)。こちらは町田小学校の帽章が元になった図案だといい、恩方村や由井村が村章から校章へ移行しているのと逆だ。いずれにせよ市町村章と公立学校の校章とは密接な関係があることが多い。

『市町村別国土総攬』は興味深い資料なのでいずれ詳述したい。
『市町村別日本国勢総攬』(帝国公民教育協会、1934)は復刻版も出ているので知っている向きもあるか知れないが、その増補改訂版と思われる本が
『市町村別国土総攬』だ。上巻と中巻が確認できるが下巻が見あたらない。


なお青梅町の紋章については実地踏査でも確認している。町家の軒下に貼られていた商工会の門標に、よく似た紋章が描かれていた。輪郭が梅花なのはわかるが、花弁に返しがあったり、五芒星(萼か?)が挿入されていたりするのはどういう意味だろうか。謎は尽きない。