2016年1月28日

通の話・青年口語体


Tales of Maniacs (1907),
New Colloquial Correspondence for Youth (1926)

 明治40年に出た『通の話』という本を手に入れた。
マニア24名の随筆を集めた本で、「釣魚通」幸田露伴、「絵葉書通」巌谷小波など、いずれもそうそうたる文人たちがマニア打ち明け話をするものだ。例を挙げると清水晴風「玩具通」の一節(p97)、

《…私は何処へ行つても旅館で一番に聞くのは其土地の玩具の有無で、高崎でも旅館へ着くと直ぐ女中を呼んで、何か面白い玩具は無いかと聞きますと、「ヘエありますから呼びましよう」とて、暫くすると一人の芸妓が顕
あらはれた、私は呆気にとられて見て居ると、芸は遠慮なくズンズン座敷へ三味線を運び込む、こいつ[は]又失敗しくじつたなと、色々訳を話して辛やうやく芸妓に帰つて貰うたが、斯な失敗は幾度やつたか知れませんイヤ何を致すにも大抵骨の折れることです》

というもの。総じてこんなようなエピソードだとか、ちょっとしたマニア知識が披露されてゆく。卑下と自負と相半ばする感じにやや共感を覚える。こういう本を作りたいものだ。敬愛する明るい隙間趣味をたずねて本にしてみたい。白看探しとか。几号水準点とか。

 白看と几号水準点

が内容の魅力もさりながら、味はその文体からも来る。特段珍しいわけではないが、古めかしい口語体で綴られているのがよい。

古い口語体ということで言うと、国会図書館のデジタルライブラリーに当時の書翰文例集が多数あがっているのが面白くて最近よく読んでいる。時代は下るが大正15年の『新らしき青年口語体書翰文』にならい、私はこれを勝手に青年口語体と呼んでいる。

同書から例を引く(p105-106)。

春雨の日友を招く
《小糠のやうな、油のやうな雨が毎日続くぢやァないか。何となく人懐い、唆そゝられるやうな情こゝろになつて来る。そして、君を憶ふこと愈いよいよ切だ。幸ひ宇治から玉露が着いたから、君と共に苦茗くみやうを啜り、甘味を味つて心静かに他郷に在るAの上を偲ばうと思ふ、定めし無聊だらう。この使と共に出て来ないか。叩頭。》

返事
《手紙を有難う。徒然の折柄兄けいは何どうして居るだらうと思ひつゝあつた処だ。このしめやかな雨の日に、玉露を啜ってAの上を偲ぶのはまことに懐しく思ふ。直ぐにといふのだが、今一寸行けぬ。一二時間待つてくれたまへ。後から必ずお邪魔をしやう。不取敢とりあへずこれだけのことを書いて使の方に渡した。一二時間経つと屹度きつと行く。失敬。》


といった具合だ。総体としては現代口語文と変わりなく読解できるが、個々の修飾が時代がかっている。ぢやァないか。候文から申し送られた表現やむつかしい漢語が踊り、名言名句をそれとなく挟む衒学さも特徴だ。 

ちょっと会おうというくらいの内容なのに、君を憶うこといよいよ切だの、宇治から玉露がとどいた、使いを出す、という調子で労力を使ってゆくのはロマンチックでよい。