2016年2月11日

消えた村の紋章をさがしている


In search of lost emblems (of former villages in Amagasaki)

 兵庫県尼崎市が市制100年の節目に、

かつて併呑した村の紋章をさがしている
ということで報道があった。

(1月27日付毎日新聞・2月5日付朝日新聞


現在の尼崎市域には6つの自治体があった。うち尼崎町が1916年、立花村の一部をあわせ尼崎市となり、1936年に小田村と合併、1942年に立花村全村、武庫村、大庄村、1947年に園田村を編入し今に至る。

今回さがしているのは上記6つのうち園田村の紋章だ。 
消えた村、それも消えて70年にもなる村の紋章をさがすとは素晴らしい取り組みだ。全国でどんどんやってほしい。そういえば国会図書館のレファレンスデータベースにも同じ質問事例が掲載されていた。

図は報道資料と「図説 尼崎の歴史」を参考に描いた。



立花村の紋章は9枚の花弁が描かれる。大字の数にあやかったものか。但し大字が9つになったのは尼崎市の市制施行以後であるから、制定年代は1916年以降となる。

公立学校のホームページを見る限り、武庫村、小田村、大庄村の紋章はいくつかの学校の校章に一部引き継がれている。村が消滅したあとで出来た校章にも引き継がれているのが興味深い。



京阪神の都市圏には古い自治体紋章が多い。もともと紋章熱が高い地域らしく、日本最初の自治体紋章鑑『都市の紋章 一名 自治体の徽章』(1915年)国立国会図書館蔵 にも京阪神間の紋章が多数収録されている。

とくに内海沿岸というか山陽線沿線というか、大阪~神戸~姫路あたりにかけては優れた図案の紋章が多く、インターネット上で確認できるものをいくつか上図にまとめた。年代には隔たりがあるが概ね明治20年代から昭和戦前期までの作。漢字またはカタカナ頭文字の図案化が多く、骨太な造形が秀逸なのが多い。自治体にまつわる名数を採用したのも多く、神戸は2つの港、芦屋は4つの旧村、鳴尾は4つの大字と8つの小字を表している。また須磨は珍しい具象紋、何となくアールヌーヴォーを思わす枝振りの描写だ。

大阪、尼崎、芦屋、神戸、明石、姫路は各市ホームページ、西宮、須磨、網干は前述の『都市の紋章』、御影は『御影町誌』(1937年)
国立国会図書館蔵、飾磨は『兵庫県飾磨郡飾磨町志』(1920年)と昭和16年合同年鑑』(1940年)国立国会図書館蔵、魚崎はウィキペディア「魚崎町」および魚崎小学校ホームページ、鳴尾はブログ「ちょっと歴史っぽい西宮」および鳴尾高校ホームページ、別府、加古川はブログ「ひろかずのブログ」、高砂はホームページ「お散歩 Photo Album」をそれぞれ参照して描いた。加古川と高砂は町制時代の紋章であり現在のものとは異なる。


尼崎に話をもどす。冒頭の図版に描いた尼崎の立鼓形の紋章は市制施行を期に制定されたもので、尼崎藩の槍印が元になっているということだ。『安政武鑑』(1856年早稲田大学図書館古典籍総合データベース を見るとたしかに立鼓形の槍印が載っている。しかし図案の根底にはもうひとつ、大阪市の紋章の影響もあるような気がする。大阪市の紋章は澪標といい、近世の港の水路標識がそのまま紋章になったもので、明快さからか諸々の紋章に影響を及ぼしている。

なお尼崎の紋章には、現在は両脇に●が1個ずつ付け加えられている。これは小田村と合併した際に付け加えたもので、小田村の「小」の字というわけ。紋章の合併新設としては珍しいやり方だ。

今みるような自治体紋章の概念は明治20年代に端を発するもので、それ以前にはほぼ存在しなかった。ゆえに紋章へ都市のイメージを加味するためには、旧藩主の紋所であったり古歌の歌枕であったり、近世以前の象徴的な事物を借用するものが多い。尼崎大阪ともにそういった紋章の好例である。



紋章の影響力ということを言えば、京都・大阪・神戸の三都市のが抜群に強い。代表例を上に掲げる。右下は大阪府高槻市、左下は兵庫県飾磨市の紋章で、それぞれ京都と大阪、大阪と神戸の紋章を強く意識して作ったと明記されている。上の丸いのは三都市の紋章をぜんぶ組み合わせたもので、阪急電鉄の昔の社紋。自治体紋章ではないが参考として掲載しておく。こういう芸当ができる紋章がいい紋章だ。