2014年12月14日

描いて北海道


北海道には北海道のかたちを描いた
おみやげ品がたくさん売っている。

おおかたの場合、奈良なら大仏、京都は金閣寺…
と具体的な観光目標を描かざるを得ないが、
北海道は輪郭ひとつで北海道だと納得させられる。

都道府県キーホルダーのたぐいは各都府県にもあるのだが、
あれは飽くまでも観光地図の機能を捨ててはいない。

観光案内の本分を離れた、輪郭だけの
「純粋北海道」を捺したパンやチーズが
東京にまでたくさん売っている。


しかし、今でこそgoogle earth等々で
正しい地形をいつでも確認できるようになったとはいえ
そもそもは地形図の知識でしかなかったはずの土地の輪郭が
人々に親しまれるようになったのは面白いことだ。

集めて手許にある古いバッジにも
北海道を描いたのがいくつもある。
ここでひとつ手書き北海道の変遷を追ってみよう。

1は1932年前後、2は1936年、3は不明だが昭和戦前期、
4は1951年、5は1953年、6は1958年。

1は道庁で発行した公的なバッジ(小麦増殖実行委員)であることもあり、地形図を下敷きにしたであろう堅実な北海道である。続いて2、3ではバランスの調整が行われ始め、すぼまっている道東を大きく描くようになった。

3は銀製の小さなバッジではあるが、サハリンや千島列島のほか、利尻か礼文かの離島まで視野に入れているところに好感が持てる。

4は結核予防会で発行した「結核予防法改正記念」バッジ。
急に抽象化が進んだのは戦後の雰囲気でか、あるいは図像が十分に行き渡った上での、自信あるデフォルメということかもしれない。

5は日本交通公社で発行したロータリークラブの会合記念バッジ。
北海道のかたちはスタンダードだが、シラカバの立木に北海道が隠れてるという考えてみればおかしな描写に、記号化の端緒が表れているとも言える。

6は北海道大博覧会の記念バッジ。
やや横長の北海道だが、グリッドを使用したデザイン処理を経ている感じがする。というのもこれまでは不規則だったそれぞれの半島の向きが、ここでは上下左右に固定されているからだ。各年代の試みを消化した描写だと考えられる。

7〜10は「狩猟者記章」というもので
7は1963年、8は1968年、9は1975年、10は1978年。

これまでの図像とはかけ離れた、変なかたちの北海道が描かれるようになった。おそらく当時の道庁の職員徽章の図案(下図)を転用したものだ。職員徽章は1963年に制定されたというので、年代も整合する。

左下の丸い凹みは何だろうか?噴火湾か、あるいは函館湾だろうか。噴火湾だとすると襟裳岬が2つになってしまう。「北」という字の図案化として、シンメトリックに処理しただけかもしれない。

7、8のバッジを見れば函館湾説に軍配を上げたい気もする。面白いのは9のバッジのみ図案が変わっている点で、制作者としてもこのかたちに疑問があったことが分かる。しかし10のバッジではもとの図案に戻っている。


当初は飽くまでも地図として登場していた北海道の地形が、
慣れ親しまれて記号となり、それにともない抽象化が進み、
行き着いた先が道庁職員徽章のかたちだったのだろうか。

現代では変な北海道の生まれる余地はないように思えるが、
じゃあ見ないで描いてみろと言われると
やはり人により思い思いの北海道が現れ出るはずだ。

知ってるけど描けない、しかし簡単に描いた図でもそれと分かるのが
北海道のかたちが売れる所以だ。