2011年11月21日

夏から秋にかけての出来事

また4ヶ月ものあいだ記事を書かなかった。書くべきことがなかったのではなく、むしろ例年より話題に富んだ夏から秋だったのだが、あとで書けばいいやと放っておくうちにすっかり冷えてしまった。

8月6日(土) 〜 8月24日(水)
震災で2週間押したカリキュラムは夏休みを削減することで帳尻が合わされた。なんでも多摩美のが日本一短かったと人の話。しかし短いなりに満喫することができたのは、今夏は「飛行機を使わないで帰省する」のに挑戦してみたからだ(上図)。陸路と海路で北海道へ渡ると聞くとあたかも青函連絡船や急行八甲田の昔を彷彿とさせるが、往路は大宮から上越新幹線、また新潟からフェリーで苫小牧、復路は豪華寝台特急「北斗星」に乗ったとあればただの贅沢だ。それでも航空機で味気なく帰るよりは遥かに楽しかった。
八王子から大宮へ行くには「むさしの号」という便利な列車があるので、8月6日の朝に出て昼には新潟に着いた。フェリーが出る夜の11時半まで半日市内を観光することができた。快晴でうだる暑さだったが数日前まで豪雨があったばかりで、万代橋から眺める信濃川は増水して端から端まで濁っていた。また折しも新潟まつりの最中であり古町(「ふ」にアクセントを付けて読む)のアーケードを大きな船の形をした山車が行くのを見た。
ここで地元の産物に舌鼓を打つのもよかったが、新潟に来たならどうしても寄りたいところがあった。かつて堀のあった碁盤の目の区画を西に抜けるとやや標高が高い一角があり、この丘の上が大学の敷地になっているのだが、松の生えた港町らしい階段を上りきったところに小さなタイル張りの建物がある。それが「新潟大学 旭町学術資料展示館」、旧制新潟高校、長岡高等工業学校に由来する貴重な実験器具を多数保存展示しており、その中でも「マルベ式混色器」というの(上図左端)をこの目で見ることが新潟旅行のひとつの目的でさえあったのだ。学芸員の方(上図左)の親切な配慮により、私はじっくり「マルベ式混色器」と対面することができた。他にもたくさんの興味深い器具を間近で見ることができて感激この上なかった。
ひとしきり見終わると時間は5時半を回っていた。ここから3キロほど離れた信濃川べりに「新潟市歴史博物館」というのがあって、そこに行くバスはありますかと学芸員の方に尋ねたら「そこはもうすぐ閉まるから、バスで行っては間に合いません」と、なんと車を出して送ってくださった(上図右)!本当にありがとうございました。新潟の人はみんないい人だった。

フェリーは新潟島の対岸、山の下埠頭から出る。翌朝秋田に寄港したときには太平山がたいへん美しく見えた。苫小牧へは午後5時過ぎに着いて、そこから大谷地駅までシャトルバスに乗り実家へ帰ったのは7時。飛行機を使えば3時間で着く旅程であった。

帰りの北斗星は札幌駅は5番線から出る。8月23日とあっては家族連れと鉄道ファンばかりだった。私がとったチケットはB寝台の上段で、ここからはろくに景色も見えなかった。北斗星に乗ろうと思う方がいるなら多少奮発して個室をとることをお勧めする。結局景色見たさにドアにへばりつき、また猫の額ほどのラウンジで過ごしていた(「シュレック」を上映していた)。しかし大宮あたりから混雑する通勤電車を横目に突っ走るのは愉快だった。朝の9時半過ぎ上野駅の地上ホームに到着、「ふるさとの訛懐かし停車場の」を実感する。

9月11日(日)
私が所属している合唱団が町田で初の単独公演をした。思えばこの合唱団に入ったのは大学2年のころ、もう2年もやったのかと感慨深いが、私は院試(後述)と卒業制作のためこれをもって休団することとなった。公演は成功裏に終わった。上図は公演のアンケート用紙を回収するための容器でありイラストレーションは混声四部と指揮とピアノを描いているが、目下研究中の「人物の似顔絵を動物になぞらえて描く」ことを応用したものである。
合唱団からはいろいろなことを教わったが、とくに「音響巻き(8の字巻き)」はすでに習慣にすらなった。充電器のコードを巻いたりするたびに合唱のことを思い出すのである。

10月23日(日)
大学院入試だった。ブログの更新が滞っていた理由の一つである。私が受けたのはデザイン領域・イラストレーション専攻であり、入試に際して作品パネルを大量にもってゆく必要があった(上図)。そこでパネルの包みの下に車輪を2個設置したが、これが安定せずまったく用をなさなかったのは残念だった。もしこれからイラストレーション専攻を受けるという人があれば車輪は絶対に3個か4個つけなければいけない。疲労で腕が上がらなくなってしまった(にもかかわらず試験翌日ディズニーシーに行くことになった)。
試験後まるで無用の長物となってしまったパネルは主要な2枚だけもって帰り、あとはあるサークルに寄贈し芸術祭で屋台骨に再利用していただいた。

11月4日(金) 〜 11月6日(日)
多摩美術大学で芸術祭。友人3人とともに「惑星間革命」というグループを組織して、4年生・最後の芸祭ということで、夏休み中から準備を重ねて「シリコン取り」による樹脂人形の量産を試みた。デザイン棟1階という好立地で屋台を一から組んで人形からストラップ、缶バッジなど雑多なものを展示販売したが、これがなかなかの売れ行きだった!(上図:左から片倉・川口・大町・小川)
例年思うが、お客さんと会話が出来るということの希有さといったらない。興味を持っていろいろ聞いてくれる方や、わざわざ名刺を求めてくれる方、去年の展示を覚えてくれていた方もいた。たいへん多くの友人が展示を見にきてくれた。それもこれも美術大学の環境の素晴らしさから来るのだろう!今にして思えばなんと充実した学生生活だったことか。今年の花火は一番きれいに見えた。